西大寺文化資料館開設趣意

*発行書籍「西大寺5号(昭和五十四(1979)年十二月十日発行)」
からの転載です。

西大寺文化資料館の開館によせて

昭和四十八年の春、わが愛郷会が発足したとき、その事業の一つに、西大寺の文化資料を収める資料館を作りたいという願いがあった。
それには資料の調査、蒐集に時間がかかるし、またそれを建設運営するには相当な資金を要するということで、なかなか実現は難しかった。
それが偶々今回株式会社天満屋さんが、創業百五十周年を記念して西大寺の旧伊原木邸と庭を整備されるに際し、本会の趣旨に賛同され、その倉庫を資料の展示ができるよう整備し無償で貸して下されることになった。
ここにおいて我々はその開設準備委員会を作り、西大寺に関係ある公職にある人、各種団体の代表者、芸術家の方々の賛同を仰ぎ、町を挙げて発足することとした。
その依頼書、開設趣意書、賛助者は次のとおりである。

<依頼書>(略)
<開設準備委員会 委員名簿>(略)

<西大寺文化資料館(仮称)開設趣意書>

戦後我が国の社会情勢の変遷は、甚だ大きくかつ速く、永年にわたってわれわれを育ててきた自然の環境、伝統の文化財などは、無造作に破壊され消滅しつつあります。
ことに経済の高度成長以来、経済が各界に優先し、環境や文化財を軽視する風潮が烈しくなりました。
その様子は今さらここに贅説するまでもなく、各位の熟知されているところであります。
しかし、こうした破壊の反面には必ず反動として保存復興の気運が興るのも当然の理であります。
すなわち、今や各界の識者によってその反省が大きく叫ばれ、各種の運動が行われておりますが、その一つに博物館の建設があります。
わが岡山県下においても、岡山・倉敷・津山・玉野・高梁・足守・早島・笠岡・備前・山陽・井原・成羽・鏡野・邑久・牛窓等々、主な市や町には皆各種の博物館が開設され、その数も三十有余に上っております。
では、ひるがえってわが西大寺の町はどうでしょう。
町は千二百余年の昔に創建された古刹西大寺を中心に、その門前市から発達した県下屈指の商業の町で、今日なお県下経済界の大立者を輩出しています。
したがって町には経済的な地盤があったはずですが、しかし今日に至るまでその文化的な資料館がないのはどうしたことでしょう。
茲に於いて我々愛郷の者たちは、先年来西大寺にもっとももふさわしい文化資料館を造りたいと、その研究調査をして参りましたが、建設となると多額の費用を要するので、中々その実行の機を得ませんでした。
たまたま、今回我々の趣意に賛成され、その資料の収蔵、陳列の場(旧伊原木本邸と倉庫)を提供される方が現れましたので、いよいよその開設を計ることとし、ここにその準備委員会を造り、具体的な運動を進めることになりました。

 <賛助員 名簿>(略)

かくして十一月四日、天満屋では旧伊原木邸内にて先祖、先人達の顕碑の除幕式をあげ、式後天満屋社長から三浦会長に倉庫の鍵が渡され、 開扉式が行われた。それより参列者一同は館内に展示されていた資料を見学した。
ここにおいて、いよいよ文化資料館が我々の手に委ねられたので、その開館に向けて努力し、昭和五十四年十二月九日の佳き日をその日と定めた。
展示品は、当初は西大寺の町の成り立ちに関するもの(吉井川、観音院、窪八幡宮、商家など)を中心にその資料を陳列することにし、適当な時期にテーマを換え資料を入れ換えてゆく。又適宜特別な展覧会を開く予定である。
開館を記念し、観音院からは最も貴重な寺宝である縁起の絵巻物、西大寺の古図等を出品して頂き、会場を一段と高く学術的に飾ることができた。
今後は一層資料の発掘収集に努め、内容を充実し、西大寺の文化の宝庫とし、ひいては研究の拠り処とし、末永くこれを維持発展さしてゆく覚悟である。
ここに文化資料館の開館に当り、天満屋さんは素より、貴重な資料を御寄附下さった方、展示品をお貸し下さった方々に厚くお礼を申し上げると共に、広く市民諸賢の御理解と御協力をあわせてお願いする次第である。

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