西大寺文化資料館の主な所蔵品

西大寺文化資料館の主な所蔵品

1.会陽の宝木 江戸時代から現代まで。西大寺以外に、井寺、満願寺、荒鍬宮のものまで。
2.会陽の版画と行事の写真
3.大福帳 引札 度量衡 看板 帳場の結界
4.高瀬舟取引帳
5.永安橋の歴史的資料
6.戸長文書(浅越の青山家)
7.地主文書(河本の松岡家)
8.大多羅反射炉出土品
9.吉井川川底出土品
10.昔の通貨および関係資料(山口勝正氏)
11.西大寺地区文芸出版物、新聞切抜き、写真、漢籍(三浦 叶氏)
12.天満屋資料(本館収集に加えて、天満屋よりの寄贈品)

観音院本堂の1/30の模型

観音院本堂の1/30の模型

本堂は嘉永7(1850)年1月18日未明、牛玉所宮から火が出て、焼失した。そうして安政3(1856)年正月から寄付金を募った。
本堂は一山の寺院が共同使用する建物なので、一山の緒檀家が協力した。
再建の設計は、安政4(1857)年5月新堀町の棟梁、時岡弥右衛門幸家と同芳之助幸次、門人小林清三郎義智とが行い、今も、時岡家に三十分の一の設計図と木骨組の模型とがある。
寄付金が集まって、地鎮祭がすみ、文久2(1862)年閏8月28日四本の柱を建てて、立柱式を行った。堂は翌3年11月に完成した。これが現在の堂宇である。
(西大寺町誌P321)

寛政から昭和期の宝木

会陽(えよう)と宝木(しんぎ)
会陽の起源については、寺伝によると、紀伊の人、安隆上人が寺を創設したときから、奈良東大寺の良弁僧正の弟子、実忠上人が 修正会(しゅうしょうえ)を伝えた。修正会とは正月に修する法会のことで、毎年旧元旦から十四日間、一山の全僧侶が斎戒沐浴して、 祭壇に牛玉(ごおう)を供え、観世音菩薩の秘法を修し、平和と豊年の祈祷をする。
牛玉というのは、杉原や日笠という丈夫な紙に、牛玉、西大寺、宝印と順に並べて刷ったもので、満願になると、今年一年間の 五福(寿(寿命の長いこと)、富(財力の豊かなこと)、康寧(無病なこと)、好徳(徳を好むこと)、終年(天命をもって終わること)) を授ける意味で、その牛玉を信徒の中の年長者や講頭に授けていた。
ところが、その牛玉を戴いた人は、常に幸福を得るので、年々希望者が増え、奪い合うとちぎれるので、牛玉の紙を陰陽、 二本の宝木に変え、群がる信徒の中に投げ、争奪に任せることした。(西大寺町誌より)
古来、しんぎに当る言葉には、真木、心木、牛玉、神木、御福、宝木などが用いられている。
宝木を授かった人を取主といい、その人を祝う人を祝主というが、そういう慣習になったのは、享保末年頃からと伝えられる。
当館で所蔵している主な宝木は次の通りであるが、西大寺以外に、井寺、満願寺、荒鍬宮のものまで所蔵している。

寛政から昭和期の宝木 寛政から昭和期の宝木 寛政から昭和期の宝木 寛政から昭和期の宝木

(2017-4-7WEB管理者注記:上四枚の写真説明を以下に掲載します。対応不詳につき必要な方は現地でご確認ください)

時期など 祝主 取主
寛政九(1797)年 丁己 正月十四日 御牛玉真木 満藤好古 児島郡田井地村猪之助 戴之以授与
安政六(1859)年 未 正月吉日 御福箱 柿屋平左衛門
明治12(1879)年 柿屋平造 飯井村辰太郎
明治16(1883)年 伊原木藻平 今東竹造
明治18(1885)年 寶木 伊原木藻平 児島村梶原嘉之吉
明治19(1886)年 御福寶木 伊原木藻平 都宇郡早島 林喜十郎
明治24(1891)年 寶木 伊原木藻平 東中嶋町山本清吉
明治28(1895)年 松岡常太郎 吉田磯五郎 井上四平次

天満屋関係の資料

天満屋関係の資料

1.おなじみの山に天マークの天満屋の暖簾
「てんまやま」はこのマークからきているのだろう。
2.商店などで、帳付けや勘定などをする帳場台と帳場格子(結界)
3.大正二年 天満屋合名会社の御通帳
4.外商用大風呂敷
5.五玉2つ、一玉5つのそろばん
中国そろばんで、当時の目方の単位は、一斤を十六 両(十六進法)としていたので、一桁に15までおけるものが重宝だったといわれています。
6.五玉1つ、一玉5つのそろばん
以上、呉服商店当時の店舗の様子が浮かんできます。

金銭登録機

金銭登録機

株式会社天満屋さまにて実際に使用されていた金銭登録機で、寄贈を受けた所蔵品。
キャッシュレジスター(英: cash register、通常レジと略される)は、主に商店において、商品の販売額を計算、記録する機器。日本語で「金銭登録機」とも呼ばれる。転じて、小売店内でこの機器が設置された会計場所のことも「レジ」と呼ばれる。 本体とともに、売上金を保管するドロワーと呼ばれる引き出しが一体になっている。
本体周りにメーカー名などの表示はなく、2208620 862E のタグのみである。そこから類推して、日本NCR株式会社が1917(大正6)年に製造した800号レジスターで、天満屋株式会社を設立した1918(大正7)年当初に購入・設置されたものと思われる。

嫁入り時に使用されたお駕籠

嫁入り時に使用されたお駕籠

西大寺中野本町の石原家蔵の婚礼用駕籠
花嫁さんが一度使っただけで、箱に入れて保存してあったので、100年以上経過したものと思われぬほど新しい。

薬店で使われていた看板、薬研、百味箪笥

百味箪笥(ひゃくみだんす)

百味箪笥(ひゃくみだんす)
漢方医が薬を入れておく、小引き出しの数多くあるたんすのこと。薬味箪笥ともいう。
久山薬局様所蔵品

薬研(やげん)

薬研(やげん)は、漢方薬などをつくるとき薬効を持つ薬種(草・根・木あるいは動・鉱物質)を細粉にひくのに用いる器具。
「くすりおろし」ともいう。石製のほか、鉄製、木製、陶製がある。かつては石製のものが多かったが、今日では金属製のものが多い。
中央に窪みのある船形の器具の窪んだ箇所に、薬種(薬効のある草、根、木、乾燥させた動物質のもの等)を入れ、中央に握り手の部分となる軸を通した円盤状の車輪(薬研車という)を前後に往復させることによって、薬材を押し砕いて細粉にする。
久山薬局様所蔵品

高瀬舟の模型

高瀬舟の模型

正確な測定に基づき、10分の1で作成された、高瀬舟の模型。
製作者は横井崇光氏
高瀬舟については、愛郷会発行図書「西大寺」の表紙を語る「西大寺第3号」をご参照ください。

菓子製造用具

菓子製造用具

干菓子など和菓子用の木型と金属型
鶴や亀、鯛など縁起物の型が確認できる。
松風堂様ご提供

醤油醸造用具

醤油醸造用具

醤油の製造は麻製の丈夫な袋にもろみを入れ、圧力をかけて搾りだした。
醤油を汲み出したり、底をさらえる杓や樽内をかき混ぜるためのかい棒など昔の醤油醸造用具が確認できる。
政津 秋山教正氏蔵

奈良東大寺大仏殿に使用された瓦片

奈良東大寺大仏殿に使用された瓦片

東大寺の字が見える。
西大寺物語 東大寺の瓦出土の謎より
昭和30年ごろ、吉井川の東側の川岸を多くの浚渫船で掘ったことがある。その時、多数の土器や東大寺瓦が上った。
機械によって破壊したものが大部分であるが、中には完全品もあった。
当時の西大寺は河口に当たるが、吉井川の砂のため川底が浅いので、瀬戸内海を走る大型の船に積み替える必要があった。
その作業中に川に落下したものが、約800年もの間、砂の中で眠っていたということです。
瓦には、平瓦と、軒瓦の2種類があり、何れも「東大寺」の文字が刻まれています。
大船に積み込まれた大量の瓦は、瀬戸内海を東に進み、大和側や傷川を経由して奈良の都に到着し、 新築された東大寺の屋根にのせられたのです。

縄文時代の土器片

縄文時代の土器片

展示品中最古の縄文式土器片(約2500年前)

百枝月出土(祭祀用)須恵器
西大寺本町 太田花子氏寄贈

吉井川の対岸に位置する銅鐸出土地の百枝月遺跡でも、旧石器時代の石器が採集されて邑久町郷土資料館に展示されているが、 遺跡の内容は明らかでない。

近郊の遺跡からの出土品

近郊の遺跡からの出土品

祝部式土器祝部式土器
吉井川底から出土したものと同系
西隆寺付近の寺跡より出土
ろくろ使用の跡がある。
樋口 石原実氏蔵

百年前のカメラ

百年前のカメラ

百年前 最古の120フィルムカメラ No2ブローニー
アメリカのコダック社が1901 (明治34) 年に発売した世界最古の120フィルムカメラになります。
フィルム拡販の為にお値段がなんと2ドル!今で言うと約2000円程で売られていました。
百年前 最古の120フィルムカメラ No2ブローニー
年代:1901年~
レンズ:単玉1群1枚 105mm F11?
絞り:2段(F11とF22?)
シャッター:ギロチン型 B、1/50?
画面サイズ:6㎝×9㎝
フィルム:120

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