西大寺を二度訪れた伊能忠敬(1)

はじめに

伊能忠敬と西大寺の繋がりについては、西大寺愛郷会の元副会長であった青江文次氏が当会発行書籍の 西大寺 第11号(昭和61年2月発行)に「伊能忠敬*西大寺での仕事*《、西大寺物語(平成12年3月発行)に 「“推歩先生“海岸を測量《という記事を遺しています。
共に、伊能忠敬第五次測量時に日生から牛窓を経由して西大寺を訪れた文化2(1805)年11月14日前後のことを述べています。
伊能忠敬は、55歳から足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかい よちぜんず)』いわゆる伊能図を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人です。
伊能忠敬測量隊は寛政12(1800)年4月の第一次(奥州街道、蝦夷南東岸)から文化13(1816)年8月の 第十次(伊豆七島、江戸府内)まで、足掛け16年、測量所要日数は実に3,736日、測量全距離は38,787km に亘ります。
伊能忠敬は測量しながら現場で書いた「忠敬先生日記《という表題の51冊と、自身で後に清書した「測量日記 (沿海日記)《28冊を遺しており、いずれも千葉県香取市の伊能忠敬記念館に保存されており、両方とも国宝に 指定されています。
伊能忠敬が書き遺した測量日記を読み解くと、西大寺を二度訪れ、宿泊していたということが分かります。
以下に、その詳細を述べてみたいと思います。

「測量日記(沿海日記)《から伊能忠敬の測量隊は、3度岡山県下を訪れていることが分かります。
その中で、西大寺には二度訪れ、宿泊しています。
最初に訪れたのは、伊能忠敬が60歳、第五次測量時の文化2(1805)年11月14日、二度目は68歳、第八次測量時の文化10(1813)年12月12日のことです。
共に、坂口屋松左衛門という宿に泊まっています。
文化10(1813)年12月12日の日記に「丑年止宿、坂口屋松左衛門、此度も同宿《との記録が確認できます。
丑年は文化2(1805)年で、第五次測量時のことを指しています。

3度の岡山県下訪問
1度目 文化2(1805)年2月25日~文化3(1806)年11月15日の第五次測量(紀伊半島*中国地方)で岡山県下滞在期間は文化2(1805)年11月1日~文化3(1806)年1月28日
2度目 文化6(1809)年8月27日~文化8(1811)年5月8日の第七次測量(九州一次)で岡山県下滞在期間は文化6(1809)年11月19~27日、文化8(1811)年閏2月17日~3月1日
3度目 文化8(1811)年11月25日~文化11(1814)年5月25日の第八次測量(九州二次)で|岡山県下滞在期間は文化9(1812)年1月8~12日、文化10(1813)年12月2日~19日です。

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