東大寺の瓦出土の謎

昭和30年ごろ、吉井川の東岸を多くの浚渫船が掘った。その時、多数の土器とともに東大寺の瓦が上った。
遠い奈良の東大寺の瓦がなぜ西大寺の吉井川の底から出たのか。
その答えは、奈良-万富-西大寺という線で解決します。
奈良の東大寺は752年に建立されますが、1180年の源平の兵乱で、平氏の軍勢が東大寺に火を放って 炎上します。
源頼朝は、その再建を図るべく、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)を大勧進の職に任命します。
重源は瀬戸町万富に(JR山陽本線万富駅付近)に窯(万富東大寺瓦窯跡)を築き、瓦を焼いた。
その瓦を輸送するために吉井川を下る船が利用されたという訳です。
当時の西大寺は河口に当たるが、吉井川の砂のため川底が浅いので、瀬戸内海を走る大型の船に積み替える必要があった。その作業中に川に落下したものが、約800年もの間、砂の中で眠っていたということです。
瓦には、平瓦と、軒瓦の2種類があり、何れも「東大寺」の文字が刻まれています。
大船に積み込まれた大量の瓦は、瀬戸内海を東に進み、大和側や傷川を経由して奈良の都に到着し、新築された東大寺の屋根にのせられたのです。
(以上は、青江文次著 西大寺物語の「7.東大寺の瓦出土の謎」を要約し転載したものです)

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