岡山で発見された「路程車」を訪ねて

平成27年10月7日に、江戸時代の測量器具である「路程車」が発見されたことが備前市から報道発表されました。山陽新聞記事(2015.10.8)
昨年7月、備前市歴史民俗資料館の学芸員が岡山市内の旧家に保存されているのを発見したというそんな経緯から備前市歴史民俗資料館にて企画展「江戸てく-東備と測量家たち-」が開催されました。
この企画展では、「伊能忠敬全国測量後、さらに活発化していく備前国の測量家(窪田浅五郎・田淵弥三郎を中心に)を取り上げ、東備地域に残された絵図を中心としながら、江戸時代後期の岡山地域における測量の技術力に迫ります。」としています。
企画展のメインである、窪田浅五郎が開発した、本邦初公開の測量器具「路程車」を訪ねましたので、「路程車」を中心にレポートします。

備前市歴史民俗資料館

備前市歴史民俗資料館

JR赤穂線備前片上駅徒歩5分の所にある、備前市歴史民俗資料館では、「備前焼を学ぶ」「備前市の歴史を知る」「備前市ゆかりの作家たち」をテーマに展示を行っています。
また、年に数回企画展を開催しています。

(2017-4-8WEB管理者注記:この企画は終了しています)企画展「江戸てく-東備と測量たち-」は2015年10月23日(金)~12月6日(日)の開催です。

路程車とは、伊能忠敬が全国測量中の享和元(1801)年から使用した「量程車」をヒントに、窪田浅五郎が文化9(1812)年に完成させた測量器具です。
路程車には大きい車輪と小さい車輪が付いており、大きい方の車輪を使って距離を測る仕組みになっています。小さい車輪側に取っ手をつけて引っ張って歩き、距離を測ったものと思われます。
伊能忠敬の「量程車」は目盛が側面にありますが「路程車は上部に目盛がついており、使いやすいよう改良されています。窪田の設計思想や製作した職人の技術の高さがうかがえる」と評価されています。

<窪田浅五郎(くぼた あさごろう)とは>

岡山市東区君津出身で備前の著名な暦算家・原田元五郎に算術を学び、寛政8(1796)年には算術免状を与えられ、文化2(1805)年に岡山藩士となりました。
伊能忠敬の第五次測量に同行、岡山の庭瀬町(現岡山市北区庭瀬)から広島の忠海湊(現竹原市)まで測量や観測を行いました。
第五次測量 伊能忠敬測量日記第九巻には随行したことを示す記述が残されています。
文化2(1805)年12月7日
「窪田浅五郎逢談を願に付暦利を談ず」
文化3(1806)年)正月廿日
「廿日より岡山の弥右衛門、浅五郎、丈右衛門、三人随身なり」

<田淵弥三郎(たぶち やさぶろう)とは>

謎の測量家。天保年間(1830~1844)に岡山の村絵図を作成して廻っており、備前市内でもあちらこちらに彼が作った巨大な絵図が残っています。 路程車の持主で、息子・幸次郎も絵図製作に携わりました。

路程車実測図

展示に当たって新たに路程車を実測し図面に書き起したもの。
5㎝の目盛が付記されています。
路程車の本体(木製)は長さ16.2㎝、幅9.3㎝で、総重量は約1㎏です。
路程車は大きな方の車輪(鉄製)を使って距離を測ります。その直径は20.2㎝と計測され、円周が約63.5㎝(約2尺1寸)となります。これが3回転すると6尺3寸となって、1の位の目盛が1つ進む仕組みとなっています。
1間として6尺3寸が使われたと理解できます。

路程車図

路程車の側面部の図面、寸法が記されています。
説明板には「窪田家文書 路程車図 岡山県立博物館蔵 文化9(1812)年」と記されています。
路程車図の左側の小札に完成させた年号「文化壬申(文化9(1812)年)秋八月上旬」の記述が見えます。

小札の内容は下記の通り。(縦書きを横書きにしています)
路程車
是量道里之器也其製
予之所創而手自造之
文化壬申秋八月上旬
工事
東備窪田知至識

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