せえでえじ神社巡り:恵比寿宮(本町)
観音院の垢離とり場の西側に恵比寿宮があるのを知っとった?


お社は、宝暦10年(1760)ころ兵庫県西宮の戎神社から分祀して建立されました。そのころは、西大寺観音院の前の通りにありました。戎様と大黒様をお祀りしており、西大寺は商人の町なので、商売神様「おえべっさま」と呼ばれて、人々に特別大事にされてきました。境内には樹齢500年という大きい松もあって有名でしたが、松は枯れてしまいました。昭和35年に区画整理で新しい道路がつくられることになり、お社を移動させないといけないようになりました。どこが良いかとみんなで考えて、観音院の垢離とり場の西側に移転されました。観音院とは別ということで管理しています。
以前鎮座されていた本町町内会で結成している氏子が今も大切にお祀りしています。
9月9日に祭り
20数年前は氏子が約40戸ありましたが、平成30年現在では閉店したお店が、引っ越ししたりして34,5軒となりました。以前は4回お祭りもありましたが、今は1回となり9月9日のお祭りには牛窓神社の岡崎宮司が祈祷してくれています。
境内にあった井戸はそのまま(元かきもという荒物屋さんの隣)に小さな水神様の祠子をたててお祀りし、いまでも道路の反対側で井戸水が出るようにして使っています。祭りには岡崎宮司がこの水神様も祈祷してくれています。
掃除、三星さんがボランティア
「いつお参りしてもきれいにお掃除がしてあるけどあれはどなたが」と今も観音院前の小町菓子総本店の山本光義氏(88歳)にお話を伺ったら「うちの目の前に恵比寿宮があったなんて、知っとる人がみんな高齢化してしもうて。今では知らん人の方が多いなあ。掃除は三星さんがボランティアで境内を丁寧に清掃してくれています。」と紹介してくれたので三星健一氏(77歳)にお逢いしました。
「大抵、毎朝お参りしお掃除をしとります。草が生えるしなぁ。植木が伸びるので手入れをして、消毒をしています。遷宮しておよそ60年が過ぎた今、残念なことに鳥居が前のめりとなって、傾いていて修理が必要なんじゃが、大きなお金がいるので、町内会ではなかなか出して、もらえんので」とお話下さいました。なかなかたいへんだあなと思いました。
宮司さんは年に一度しかお願い出来ませんが、正月には氏子の皆さんで揃ってお参りしていると三星さんがおっしゃっていました。
★<じぃじとばぁばの独り言>
じぃじ「おや、この玉垣の石柱には西大寺の商人がたくさん掘ってあるぞ。ぎょうさんおったんじゃあ。おや、ひいじいさんの名前がほってあるど…当時の西大寺の商売人がようわかるぞ」
ばぁば「まん前に茨木呉服店と大きな字で名前があるなぁ。ここから岡山へ進出して百貨店になったんじゃなぁ。ほんまに商売人の町じゃったんじゃぁ。これをみるだけでも、おもしれえなぁ」
注:「せえでえじ」は西大寺のことです。
読ませていただきました。記憶を記録に残すことが大切だと思います、期待しています。