邑上(ゆうじょう)稲荷(掛之町)

せえでえじ神社巡り:邑上(ゆうじょう)稲荷(掛之町)

邑上(ゆうじょう)稲荷(掛之町)
邑上(ゆうじょう)稲荷(掛之町)

もとはNTTの側。いきさつは誰もわかりません

もとはNTTの側にあったと伝わっています。どうしてお祀りするようになったんかといういきさつは誰もわかりません。元掛之町町内会長の日出正一氏が聞きにこられましたが、じぃじも答えられなかったです。
永安橋は明治12年(1879)に架けられました。2代目は昭和7年に架け替えをしましたが古くなり、昭和61年新永安橋の架け替え工事を行いました。観音院前の商店街の人たちは猛反対をしましたが、危険なのでその場所より南側に現在の新永安橋が出来ました。2代目の橋を渡ると商店街がありましたが、新永安橋は商店街から外れ、だんだんと寂れてしまいました。
邑上(ゆうじょう)稲荷も新永安橋の橋下に移転されました。

さらに以前は、米穀問屋「阿波久」敷地内にあったと

今はもう昔の永安橋は忘れられ、新永安橋という人もいなくなりました。
この稲荷は元、掛之町(中1丁目)阿波久という米穀問屋の敷地内にあったといわれています。五穀豊穣の神として祀られていたということです。
掛之町内会は六班に分かれていて一班の方々が当番でお掃除をしてお祀りをしています。

現在地は国土交通省の土地。新永安橋の橋下

掛之町町内会長の山崎氏(63歳・和可葉経営者)は町内会長になってこのお稲荷さんのことを少し調査し、土地が国土交通省の物だという事はわかったそうです。町内会の総会で管理のことなど細かい事を決めたいと思っているとおっしゃっていました。

★<ばぁばの独り言>

ばぁば「2代目の永安橋を渡って西大寺高校へ通ったなぁ。橋の上で観音様をバックに写真を撮っているのが印象的じゃあなぁ」

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