西大寺コミュニティの「まちなか散歩」がありました

平成30年10月8日(月)西大寺コミュニティ10月のふれあい広場です。
澄みきった青空のもと、OさんMさんの説明を聞きながら、普門院から
観音院までのんびりと「まちなか散歩」をしました。
普門院ではお忙しい中、副住職さんより色々お話をお聞きする事が出来ました。
松尾芭蕉を偲んで150回忌
に建てられた句碑もありました。
「さまざまの事おもひ出す桜かな」
西川沿いの細い道を通り旧天満屋を見ながら観音院に到着。
牛玉所殿から本堂を見学しお土産に五福香守を頂いて帰りました。



芭蕉の句碑
観音院の経蔵
パンフレット

堤防決壊、M25年にも似たようなところが。資料は語る

岡山県上道郡水害見取図(明治25年)
岡山県上道郡水害見取図・部分(明治25年)

「岡山県上道郡水害見取図 明治25年」の部分コピーが寄せられましたので紹介します。一部、作成後手書きが加えられているようです。

明治25年は、西暦1892年です。同年7月23日を中心に台風により暴風雨洪水が発生しています(出典・岡山市の災害 PDF)。上道郡では、死者11人、負傷者2人、家屋全壊206戸、家屋半壊280戸、床上五尺浸水1059戸、床上に至る浸水3092戸、となっています(出典・同前)。

「見取図」は1892年の同台風にともなう被害状況をまとめたものです。図は西大寺近辺をコピーしたもので、電子町内会へ提供されました。これを見ると、西大寺、芳野、などのほとんどが浸水し、芳野小学校は倒壊、金田、可知の村役場も浸水していると読み取れます。

また、砂川は、平島、角山、芳野などで決壊し、図を提供していただいた方の見立てによると「平島の決壊場所は今年7月と似たような場所」「角山の決壊場所はこれまでたびたび指摘され、越水などがおこっている場所」「芳野両岸にまたがる決壊場所は、地元では危ないと言われているところ」などとのことでした。

「芳野」は旧村で、現在の浅越地区、中野地区の範囲にあたります。芳野関係の砂川左岸では、堤防が弱くなっていることを具体的に指摘する声も聞かれます。

砂川のうち芳野の決壊場所
砂川のうち芳野の決壊場所(先頭図の部分切り抜き、カラーで書き加え)

ちなみに、明治26年(1893年)10月12日~14日にかけて同様に台風により暴風雨洪水が発生、昭和9年(1934年)9月20・21日は室戸台風、昭和21年(1946年)12月21日には南海地震による被害を受けています。

 

追記

平成30年西大寺学区敬老会が開催されました

平成30年9月17日(月)西大寺学区敬老会が百花プラザで、205名の参加者をお迎えしてにぎやかに行われました。
式典では、参加者を代表して記念品を受け取られるご夫婦、107才の方を最高齢として95才以上の方2名、計3名の方に記念品が贈られました。
式典のあとの余興は学芸館高校のチアリーディング部による素晴らしい演舞で始まり小学生、高齢者の演舞と続き来ました。
フィナーレは、皆さんと椅子に座ったままの体をほぐすように、唄に合わせて体を動かしながらの合唱で終わりました。










 

皆足媛の誕生日が解りました

平成30年9月10日、西大寺コミュニティの「9月のひろば」が開かれました。
今月は「皆足媛の誕生日は??」で丸谷憲二氏(黄蕨の会)の講演でした。なんと皆足媛の誕生日は明治33年1月25日。明治33年に創作された観音院縁起が誕生日のようです。西大寺に長く住んでいますが西大寺の事、観音院の事等知らない事がたくさんある事を知りました。この続きは平成30年11月10日(土)14時~16時・百花プラザ1階:研修室で「備前西大寺地名考」と題して丸谷憲二氏(黄蕨の会)の講演があります。

 

 

7月の西日本豪雨ついて防災士から報告

平成30年9月5日のコミュニティのサロンは岡崎巌防災士(町内会長)より7月の西日本豪雨の時、平島の砂川決壊と避難所体験を防災士の立場からお話して頂きました。
砂川決壊で浸水した場所は「洪水ハザードマップ浸水想定図」に近い所で浸水があったこと、避難所では3日間「水と乾パン」の支給のみで、避難するときは3日間過ごせる食料と水を用意して避難すること、差し入れの「おにぎり」がとても美味しかったこと、ペットはゲージと一緒に避難すること、新聞紙は足を守るスリッパを作るなど色々と重宝するので避難袋に入れておくことを話されました。
西大寺学区では「合同防災訓練」が平成30年11月1日(木)にあります。9時50分までに西大寺中学校グランドに集合してください。金山に避難します。と案内がありました。参加されたみなさんは真剣にお話を聞いておられました。

洪水ハザードマップ浸水想定図




非常持ち出し袋

西大寺電子町内会がタイの研修生と茶話会をしました

本日平成30年8月18日(土)西大寺コミュニティでタイの研修生「AさんとJさん」を囲み茶話会をしました。持ち寄りのお菓子を頂きながらの座談会です。日本語もお上手で2時間近くがアッという間に過ぎました。コミュニティで栽培しているトウガラシの葉も卵と調理して頂くとオイシイよ・。と教えていただきました。今日は水祭り、行ってみるそうです。
タイ料理の講習会もしていただくことになりました。
日時:8月26日(日)10時~
場所:コミュニティハウス調理室にて
この写真はココナツミルクとカボチャを使用したデザート。「AさんとJさん」の手作りです。あっさりした甘さの美味しいお菓子でした。

「あっぱれもも太郎体操」の体験会がありました

6月6日「あっぱれもも太郎体操」の体験会がコミュニティでありました。講師は岡山市ふれあい介護予防センターの吉岡さんと藤原さんです。体験会に22名の方が参加されました。はじめに脳を活性させるゲームをし、次に「フレイル(体の黄信号)に気づいて体操をし、元気な体にしよう」とストレッチ体操・筋肉トーニング・口の体操などを教えてもらいました。何気ない運動ですが、結構足に来ていました。平素の生活態度では、いかに運動不足であったかが解りました。後はお茶とお菓子でにぎやかな座談会となりました。





福寿稲荷神社(新町)

せえでえじ神社巡り:福寿稲荷神社(新町)

 

せえでえじ神社巡り:福寿稲荷神社(新町) 
せえでえじ神社巡り:福寿稲荷神社(新町)
せえでえじ神社巡り:福寿稲荷神社(新町) の古木
せえでえじ神社巡り:福寿稲荷神社(新町) の古木

大きな商売をされていた人の邸内にあったお稲荷さんだそうです。明治時代にこの場所にお祀りしたとかいわれています。詳しくは解りません。
境内には樹齢何百年?と思われる大木があります。お稲荷さんより先にこの木があったと思われます。
松風堂の中村敦氏(92歳)が町内会を代表して26年間管理していました。

柴哲夫氏(73歳)がお世話

3年前から後任の柴哲夫氏(73歳)がお世話をして下さっています。「所有者が良く解らなく、将来を心配しています」と柴さん。
古木ですが枝葉の勢いがあります。

★<じぃじとばぁばの独り言>

じぃじ「あのお稲荷さんには明治からの多くの人の思いがあるんでぇ。たいへんじゃあ。」
ばぁば「幹の太さと樹高がアンバランスにも見えるんじゃ。お稲荷さんの謂われ、誰か知っとる人教えてーーー」

和霊神社(新町)

せえでえじ神社巡り:和霊神社(新町)

和霊神社の本宮は宇和島市和霊町にあります。祭神は、藩主伊達秀宗の家老であった山家(やんべ)清兵衛公頼です。彼は忠誠、剛直の士で主君を補佐して悪政を改革しました。同僚の裏切りにあい、刺客の手にかかって蚊帳の中で暗殺されました。その後、忠臣であることが分かり、秀宗公は清兵衛の霊を和らげるため神社を作りました。それが和霊神社と呼ばれるようになりました。
普通の神社と違って武士個人が祭神となっております。息災延命、子孫繁昌に霊験があるというので、多くの人々から信仰されるようになりました。瀬戸内海地方一般に広まり、各地に分祀されるようになりました。

新町町内会が管理

せえでえじ神社巡り:和霊神社(新町)
せえでえじ神社巡り:和霊神社(新町)

お祀りされるようになった最初の記録は安政2年(1856)3月、との記録が新町に残っています。今の場所に簡略な形で安置したのが大正12年(1923)との記録もあります。
現在も新町町内会が管理しています。同町内会長を26年間務められた松風堂の中村敦氏(92歳)が大切にお世話して下さっていました。現在は柴哲夫氏(73歳)が町内会長として福寿稲荷神社と両方管理して下さっております。

せえでえじ神社巡り:和霊神社(新町)
せえでえじ神社巡り:和霊神社(新町)

柴会長は「例祭は6月23日でしたが現在は7月24、25日直後の土曜日を新町町内会の夏祭りとして行っています。お祭りの日に子供神輿を引き出し、昨年(2017年)は75歳以上の高齢者の方にお土産を配ってもらっています」「和霊神社そばは新町会館です。ここで町内会の総会等行事は行っています」「中村敦氏が町内会長の時代は町内の旅行をかねて和霊神社本宮へお参りしていました。今度みなさんと参拝できればと思っています」と述べられていました。

★<じぃじとばぁばの独り言>

じぃじ「3年前に和霊神社の本宮に参拝したんじゃ。立派なお社じゃったな。社務所で西大寺に分祀した事も年代を調べてもろうたが、解らんかったなあ。宇和島市にある本宮は、町の名前が和霊町じゃったなあ」

ばぁば「和霊様のご祭神が武士個人じゃてえ知らんかったなあ。調べるとおもしれえな」