なつかしのはきもの展

(2017-4-8WEB管理者注記:この企画は終了しています)

西大寺文化資料館では特別企画として『なつかしのはきもの展』を開催します。
展示期間は平成28年(2016)4月10日~5月29日までの毎日曜日です。
開館時間は10時~16時です。

昨年秋、岡山市東区水門町の浮田様から、沢山の履物の寄贈がありました。
『浮田履物店』は、大正7年(1918)に開業し、下駄の製造販売を行っていました。
しかし、昭和45年(1970)ごろに閉店しました。
今回は当時の倉庫に保管されていた「足袋」「下駄」「ゴム草履」「運動靴」など、昭和30~40年頃の大変懐かしい「履物」を展示しました。

なつかしのはきもの展

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西大寺会陽と西大寺文化資料館所蔵の宝木

(2017-4-8WEB管理者注記:この企画は終了しています)

今年も、西大寺会陽の季節がやってきました。
今年は、平成28年 丙申 会陽(奉修 第五百七会)として2月20日(土)に開催されます。
祝主は岡山土地倉庫株式会社様と岡山トヨペット株式会社様です。
西大寺文化資料館では特別企画として会陽写真展(下の写真)を開催中です。
2月28日までの毎日曜日 10時から16時に開館しています。
是非、一度足をお運びいただき、詳細をご覧ください。

会陽写真展

会陽写真展

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ついに発見、宍甘氏の墓碑、五輪塔

はじめに

宍甘(しじかい)氏一族の末裔で先祖捜しをしている倉敷市在住の宍甘(ししかい)さんからの問い合わせがきっかけで、宍甘氏の墓碑の実在を探索する活動が始まりました。
宍甘氏一族とは、岡山県上道郡古都村宍甘(現岡山市東区宍甘)出身の豪族で、山王山の南端に宍甘城を築いた一族のことです。
宍甘氏の墓碑とは、西大寺愛郷会が昭和49年に刊行した「西大寺の城跡」の宍甘城および岡山県上道郡古都村史の宍甘氏に記述のある五輪塔のことです。
その宍甘氏の墓碑、五輪塔の所在は、地元住民の聞合せ等により、おおよそ掴みかけており、すぐに見つけることができるだろうと考えていましたが、二度の踏破では竹藪に阻まれ、実在を確かめる事が出来ませんでした。
その後、岡山市東区役所地域振興課の御尽力もあり、2015年12月13日、地元、古都学区電子町内会のみなさんのご協力を得て、ついに見つけることができました。

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西大寺の芭蕉の句碑

西大寺にあるもう一つの芭蕉の句碑を訪ねて

西大寺に二つの芭蕉の句碑があることをご存知でしょうか。
西大寺の芭蕉の句碑については、西大寺愛郷会発行図書「西大寺 第14号(平成元年2月発行)」の、「西大寺の芭蕉の句碑」(藤原大八氏記)に詳述があります。
一つの句碑については、普門院の境内にあり、西大寺町誌にその記述があり、西大寺の神社・遺跡巡りにも紹介されています。
しかし、もう一つの句碑については、知る人ぞ知る存在で、元久保東郷土民芸資料館の庭から西大寺鴨越水源地にある鴨越亭の横に移設されていたことが判明しました。
西大寺の先達の方々が遺された貴重な文化財を広く知らしめるべきとの思いと、「西大寺の芭蕉の句碑」(藤原大八氏記)の後日談として、追跡調査結果を報告いたします。

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戦後70年 『戦争と平和を考える』 特別展示

(2017-4-7WEB管理者注記:この企画は終了しています)

1945年8月15日。多くの尊い命が犠牲になった太平洋戦争の終結から、70年の節目を迎えました。
「戦後70年《に際し、『戦争と平和』を考えるきっかけづくりになればと、西大寺文化資料館の特別展示を企画しました。
8月2日~30日の毎日曜日 10時から16時に開館しています。
下の写真は展示概要です。 是非、一度足をお運びいただき、詳細をご覧ください。

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西大寺の歴史-その1-

西大寺の変遷と今も残る町名を探る

西大寺が地名として用いられるようになったのは、我が国の郷村の発生期である室町時代中期以降と思われる。
西大寺村という表記が見えるのは、撮要録の慶長11年(1606)の検地帳に出ているのが初出である。
江戸時代の終りまで西大寺村が使用され、明治に入ってもそのままの呼び名が続いた。

明治22年6月町村制が施行され、町村の区域名称を変更して、浅越・吉原・西庄・広谷・松崎・中野の6ヵ村を合わせて芳野村とし、旧村名を大字としたが、西大寺村、金岡村はそのまま残し、ただ金岡村から金岡新田を離したのを金田村と称した。

西大寺村は明治29年2月26日(旧1月13日)西大寺町となったが、昭和12年金岡村と合併して、西大寺・金岡の大字となり、同15年12月芳野村と合併して、芳野村の6大字は西大寺町の大字となった。
しかし「大字」という文字は用いず、西大寺町西大寺、同町金岡、同町浅越……同町中野の如く称えた。
以上は行政上の名称であるが、市街地である旧西大寺町は別に自治組織の上から18区画を定め、次の呼び名を用いた。
上之町(もと上新堀)・沖・金山・新堀町・北之町・中福町・川崎町・市場町・本町・幸町・新町・掛之町・元町・駅前通・旭町・中村町・今町・渡場町

昭和28年2月、14町村の内の西大寺町と古都・可知・光政・津田・九蟠・金田・豊・幸島・太伯各村と邑久町の内の長沼(東谷地区のぞく)の11町村が合併し、西大寺市を新設、かつての西大寺村域に市役所を構えた。翌年には邑久郡大宮村の内の一部(宿毛)が西大寺市へ編入し、続く同30年に上道郡雄神村・邑久郡朝日村の2ヶ村が編入、さらに同31年には邑久郡大宮村(千手地区の一部は牛窓町へ編入)が編入合併し、現在の西大寺エリアが確定した。

西大寺市は地域の振興政策に積極的に取り組んだが、岡山県南百万都市構想を経て、活路を岡山市との合併に求めることとなり、昭和44年2月18日に岡山市への西大寺市の編入合併が成立、16年間の市政にピリオドを打った。

平成21年4月1日には、岡山市が政令指定都市へ移行し行政区が置かれ、当地は東区の管轄となり、旧地域センター(支所)が東区役所本庁となる。当地は本庁の管轄となった。

以上が西大寺の行政区の歴史である。

これ以前の歴史については、「西大寺14号」旧西大寺町の地名(青江文治氏著)その他を参照されたい。

前述の自治組織上の18区画のうち、西大寺学区の町内会の町名として今も残る次の町名の起りを記す。

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